2014.9.17

世の中の”本質”が学べる!! 未来志向塾

インターンOB インターン

中井 翔太


 

前回の記事はこちら

インターン17日目。

今日は代表による未来志向塾でした。

未来志向塾

十牛図

テーマは十牛図論。

東洋哲学とその思想を、水論というところから始まり、十牛図論で考えてみるという流れでした。

十牛図の内容については代表が詳しく説明してくれているページがあるので今回は割愛。

今日はその学んだことを振り返りたいと思います。

 

 

 

いきなりですが、人間には二人の自分がいます。

コントロールできる自分できない自分がいます。

例えば、ほっぺたをかいてと言われるとその指示通り、手でポリポリとほっぺたをかきます。

しかし、今どのようにしてほっぺたをかいたの?

と聞かれると、はっきりこたえれない…

理論上はほっぺたをかいてという言葉を受け取り脳に信号を出してそこから筋肉を動かす信号を出して…

のように説明することはできますが、

じゃ、いちいちそんなこと考えながら手を動かしている?

といわれればそうではありません。

もうほぼ反射的、無意識に手を動かしています。

この、無意識に動作をしている自分がコントロールできない自分です。

逆にコントロールできる自分が登場する瞬間はどれほどの時間でしょうか。

思い返してみると私たちが生活をしていく上で、コントロールが及ぶ自分が登場するのは実は意外と少ないのではということが分かります。

学んだことを中心に述べるので話は飛躍しますが、

つまりは本質に近いのは日常の動作で多く登場するコントロールできない自分の方では?

ということです。

もっと言うと、無理に自分をコントロールしようとせずコントロールできない自分に身を委ねてしまえば?

ということです。

コントロール

では、無理に自分をコントロールしている瞬間とはいつでしょうか。

講演会などで登壇者に質問したいけど、どこか手を挙げにくい、ためらうことがあると思います。

手を挙げたい、質問したいけど挙げられない…

見えない何かに邪魔をされて手を挙げられない。

このような経験は多かれ少なかれ誰しもが経験したことがあると思います。

やっぱり他人の目や世間の目、周りからの見られ方などは嫌でも意識してしまうものですよね。

この感覚って自分の質問したいという率直な欲求を、コントロールできる自分が押さえ込んでないですか?

押さえ込まずにコントロールできない自分を解放し、手を挙げたいという感覚を大事にするほうがよくないですか?

悟り

また、野球選手がガムをかむ理由とはという話を聞いてとても腑に落ちました。

皆さんは野球選手がガムをかむ理由をご存知ですか?

ガムをかむ理由は、ガムをかんでいる音だけに集中してそれ以外の雑音はすべて断ち切るという狙いがあり、悟りに近い状態を作り出しています。

では悟りとは何か。

悟りとは一言で表現できるほどシンプルなものではないのですが、あえて言うと、無心の状態です。

心を落ち着け、なみすじ一つおず一喜一憂もない状態。

サッカーをしていた僕はこの感覚がゾーンに似ていると思いました。

サッカーをしているときゾーンにはいるとどうなるか。

ゾーンに入ると相手が次どのように動くかがわかり、例えば自分がドリブルをしていて、相手をかわすとき、とても冷静に相手の重心がどっちにあってこっち向きにドリブルすればとられないということが、当たり前のように分かるようになります。

このゾーンの状態はそう頻繁に味わうことはありませんが、実際長い間サッカーをしてきて、何度かこのような悟り状態になったことはあります。

これはサッカーに限らず日常生活、仕事、学びなどそれぞれ”悟る”ことはできると思います。

どのようにすれば悟りの状態に入れるかというと、まだ僕自身もそこに行き着いていません。

しかし、そこに行き着けばまた新たな違う世界が見えると何となくイメージできます。

早くそこに行き着けるよう精進していきたいと思います。


この記事を書いた人

インターンOBインターン

中井 翔太