2019.11.21


こんにちは。京都大学3回生の佐々木祐太と申します。

未来電子には6月に入社し、マーケティングコースに所属しています。

そして、10月からライターマネージャーをしています。

今回は、マネージャーをする際に、先輩マネージャーから勧められた「天才を殺す凡人」という有名なブログを読んだ際に感じた考えをまとめていきたいと思います。

全体としては、ブログの概要説明、ブログを読んで考えたこと、そしてその考えをマネージャー業務等にどう活かすかの3つで構成されています。

 

「天才を殺す凡人」の概要

世の中には、「天才」と「秀才」と「凡人」の3種類の人間が存在しており、それぞれの関係性は下図のようになっている。

(http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000)

 

また、物事の価値判断の基準となる軸は、3者の中でそれぞれ下図のようになっている。

(http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000)

 

この価値観の軸には優劣はないが、人間の数は、凡人>>>>>>>天才である。

数百万倍近い差があるため、凡人がその気になれば、天才を殺すことは極めて簡単である。

また、この世の中、特にこの国では「他と少し違う子」のようなマイノリティは圧倒的に生きにくい環境にある。

 

ブログを読んで生じた考え

 

「天才→創造性を重んじる」は納得できる。「創造性を重んじる→天才」は本当?

 

2つ目の図でみると、「創造性を重じる=天才」ということになります。

確かに、天才的な考えや行動が出来る人たちは、他にない独創性を持っているというのは過去の偉人やテレビなどで身近な天才達を見ても納得できます。

ただ、独創性があるからと言って、天才になることに疑問を感じました。

というも、「天才」と呼ばれる人たちを「天才である」と決めるのは全体の大多数を占める「凡人」であるからです。

「天才」を決めるのが「凡人」の場合、天才の考えや行動が凡人に理解されるものであることは必要不可欠です。

仮に他にはない創造性を持っていても、それが凡人に理解されなければ、それは排斥の対象となる所謂「変人」になるのでは?と思いました。

つまり、世の中には「天才」と「秀才」と「凡人」の3種類の人間がいるのではなく、「変人」と「秀才」と「凡人」の3種類がおり、その「変人」の中のごく一部が「天才」であるのではと思いました。図にすると下の感じです。

 

 

そして、大衆から殺されるのは「天才」ではなく、「変人」であると感じました。これはブログの中で言われているのと同じで、全体数が、凡人>>>>変人であるからです。

逆に、大衆からその価値を認知されている「天才」は排斥されることはあまり無いのではと思いました。

 

この考えを活かすには

 

僕が日々生活をする上では、独創性を持つ「変人」は割と沢山いると感じています(もしかすると僕の周りだけかもしれません笑)。

また、その中には「天才」たり得る人たちも相当数いるだろうとも感じています。

しかし、そのような変人の考えや行動が「常識」や「大衆」に排斥されることが多いことも事実として認識しています。

この記事を読んで最も感じたことは、実は、見せ方を変えさえすれば「天才」になれる「変人」は沢山いるのではないか?と言うことです。

マネージャーをする時も含め、人と接する時は、その人の個性を殺さないように、かつその独創性が排斥されず理解されるようにしたい。「変人」を「天才」に出来るように方向性づけたいと思いました。

自分の行動で、もっと独創性が生かされる面白い世界になったら良いなと感じました。

ご精読ありがとうございました。

 

参考文献:「 凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から『天才』を守るか?」(『週報』北野唯我のブログより)<http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000>

 


この記事を書いた人

京都大学インターン

佐々木祐太