2018.4.25

最後に、俺のはなし。

神戸大学 インターン

東妻 航太


さて、3番勝負もいよいよ最後の戦いになりましたね。ノリで始まった勝負でしたけど、みんな楽しんでくれていますか。誰かの思想に触れることは、自分を広げる上ですごく大事なことだと思っています。僕の思想も、誰かの広がりに繋がっていたらうれしいですね。

 

僕の最後の記事は、「俺」についての話です。この三番勝負で僕はサバンナの記事、そしてサバンナの設計図を書きました。そして最後はこいつらを書いた人間、つまり俺の話をするべきだろうと。サバンナの発想や中身は、こんなやつから生まれました。

嫌いなやつ。

俺は自分の話をするのがすごく嫌いです。私生活でも仕事でも、頼まれない限り俺の話はまったくと言っていいほどしません。

なぜなら、俺の話なんてクソおもんないからです。俺の話なんて、相手の時間を奪うだけだからです。それだったら、相手が話したいことを話してもらう方が相手も楽しいし、俺も気を遣わずに楽しめるでしょう。

これはずっと前から俺の中に流れる思想で、いつまでも俺を縛り付ける鎖みたいなもんです。どうしても、「素の自分」に自信が持てない。

俺はライティングができます。サッカーができます。勉強も苦手じゃないし、ダンスも歌もそこそこできます。こういう「武器」をちっちゃいころからいっぱい集めて、周りに認めてもらおうと必死でした。

武器をまとっている間は自信が持てました。認められました。殺されずに立ち続けられました。

でも、武器をおいて人と接さなければならなくなったとき。飲みの席でただの東妻として接さなければいけなくなったとき。たちまち俺はなにもできない人間に戻ってしまいます。武器を集めていたのは弱い自分を守るためだし、そういう自分を隠すためです。

そうやって生きてきたから、いまだに武器を外した裸の自分は弱くて、情けないままなんです。

そんなやつの話なんてしたくないじゃないですか。だから俺は、俺の話なんてしたくありません。

 

・・・なんて言ったら、根暗なやつだと思われるでしょうか。でも仕方ないです。嫌いなもんは嫌いなので。ずーっと一緒にいるのに、嫌いなやつなんです。

 

不完全なやつ。

俺はなんでもできる人がかっこいいと思ってます。なんでもできる人になりたいし、そういう人にはやっぱり憧れます。

でもその理想に対して自分はあまりに不完全で、自分に対してがっかりしっぱなしです。

まず、まったく頑張れない。

俺は本当に努力ができない人間で、1浪したのにセンターの世界史で40点とか取るような人間です。バカです。しかも、あえて努力しないとかではなくて、努力しようとは人一倍します。金曜日の晩は毎回、「この土日は勉強して充実させよう!」と寝る寸前まで本気で思ってます。でも、起きたら13時とかなんですよね。布団から出れないんですよね。昼飯なににしようかなーとか思ってたら18時なんですよね。晩飯食って飲んだら22時なんですよね。「まあ明日から頑張ろ。」ってなるじゃないですか。もちろん、次の日も14時起きです。ただのクズです。

頑張る気は人一倍あると思うんですが、25年も生きてきて未だロクに頑張れたことがないです。センター試験1日目の後は「もうあかんわこれ。」ってなって徹夜で友達とスマブラしてましたし、大学1回生の前期は麻雀ばっかやってて取得単位数は0でしたし、大学は7回生くらいまで延びました。高校の部活の引退試合には道に迷って遅刻。ラスト5分しか出られませんでしたし、就活はちょっとやりましたけどぜんぶ落ちてやめました。ほんと、ダメな人間ですね。

感情面も実は不安定です。

物静かに見せかけてますが、内心は結構ブレブレです。プライベートで嫌なことがあると、結構ほかのことにも引きずってしまいます。マルチタスクができないので、嫌なことに頭のキャパを取られて集中できないことがよくあります。なんか余計なことを言ってしまったりするとなぜかいつまでも覚えてて、後悔することが多いです。仕事中なのに睡魔によく負けてしまいますし、締め切り守れないです。人前ではめちゃくちゃ緊張しますし、知らない人と話すの怖いです。ホラー映画も怖いし虫も怖いです。ギャンブルは欲出して負けますし、飼ってたハムスターが死んだら泣きます。

自分の描いてる理想の人間像とは、あまりにかけ離れた存在。親にも「障害があるんじゃないかと思ってた」と衝撃のカミングアウトされましたし、神様、こんなにいろんなもの欠落させてくれなくてもいいじゃないですか。

 

不完全な「俺」だからこそ。

そんなゴミみたいな俺にも、いろんなことを任せてくれる場所ができました。どこにいても上手くいかなかった俺が、1つの領域では専門家のような扱いをしていただけます。ありがとうございます。

ここに辿り着くまでに、恐ろしく遠回りをしてきました。でも、俺がいまここで楽しく働けるのは、不完全で、ゴミクズな、「俺」のおかげだと思うのです。

この記事を読んでいる人の中に、自分は完璧で、なんでもできて、何不自由ない人生を歩んでいると思っている人はいるでしょうか。もしいるのだとしたら、いますぐにこの記事を閉じ、速やかに他の記事へ移ってください。俺はあなたにこの記事を書いているのではありません。俺は、俺と同じで自信がなくて、変わろうともがいている人に向けて、ここまで言葉を紡いできたんです。

 

 

・・・まだ読み進めているということは、あなたも俺と同じところが少しでもあったということでしょうかね。だとすれば、あなたに知っておいてほしいことがあります。「俺」のおかげで手に入れた教訓です。

それは、「不完全であり続けなさい」ということです。

もし、あなたが不完全な自分を捨てて、新しい自分に変わろうと考えているのであれば、それは完全に間違いです。やめなさい。不完全で、自信がないあなたをずっと持ち続けてください。いいですか?

 

みんな同じ。

俺がなんで未来電子で書き手として成り上がったかといえば、「いろんなやつの気持ちがわかるから」に他なりません。

書くことに限らず、仕事をしていく上では、「人を動かすこと」が最重要です。営業だろうが、デザイナーだろうが、人に行動を起こさせてナンボです。それができない限り、仕事とは呼べない。

そして人を動かすためにやらなければいけないことは、「動かしたい相手が何を思い、何をされたり、言われたりすれば動くのか理解すること」です。

そしてこれは、ほとんどの場合直接聞くことはできないので、想像するしかありません。この想像が鮮明であれば鮮明であるほど、言葉が届き、相手が動く可能性も高くなる。

そして、言葉を届ける相手のほとんどは、不完全で、「人間的な」人たちです。俺が日々感じるようなことに、同じように苦しんでいる人たちです。俺が不完全だったからこそ、肌感覚で不完全なみんなに刺さることを探し出すことができる。不完全で、人間的に生まれ落ちたことで、俺たちはそこにチューニングして感覚を同期することができるんです。

だからこそ、不完全で、人間的であることを否定してはいけません。それこそ、生まれ持った巨大な武器なのです。さて、あなたは巨大な不完全人間集団に同調できる機能を持って生まれてきました。この武器を最大限利用しようと思えば、どうすればいいのか。

 

人と同じことを感じ、違うことを考えよ。

この言葉はあるコピーライターの方から拝借したものです。この言葉に、俺の伝えたいことのすべてが詰まっています。

あなたが人と同じことを感じることができるのであれば、次にやるべきことは、人と違うことを「考える」ことだけです。

恐らくですがいまは感じたことを、そのまま行動に移しているのではないでしょうか。人と同じことを感じるのであれば、そのまま行動に移せば「人と同じことをする」ということになってしまいます。これが周りから抜け出せなくなる根本的な原因です。

感じるところまではいいのです。不完全で構わない。ただし、感じてから行動に移すまでに、「考える」というステップを追加するのです。何かを感じた。それはきっと、みんな感じていること。そのときに、「みんながこれを感じているなら、自分はいま何をすればいいだろうか?」と、何か行動する前に1つ視点を上げて考えてみるんです。感じた瞬間に起こる衝動にブレーキをかけて、一度考えてみる。そうすれば、「人と違うことをする」というアウトプットを常に生み出せます。これは同じことを感じるからこそできること。そして同じことを感じられる範囲が広ければ広いほど、いろんな人に言葉を届けられる。

俺はクズをやっていたのでクズの気持ちもわかりますし、頑張れないで苦しんでいる人の気持ちもわかる。最近ちょっと頑張ってるので頑張ってる人の気持ちもわかりますし、めちゃくちゃすごい人たちの難しい話も、最近わかるようになってきました。

こうやって同じことを感じられる場所を増やしていくこと。これこそ、「自分を広げる」ということです。同じことを感じられる人がいれば、その人が求めていることを理解できる。理解できるからこそ、その人が考えもしないことを提供できる。そうやって新しいことを生み出していって、評価を取っていけばいいんです。

不完全であることこそ、生まれ持った資質。その足場はちゃんと残して、見える景色を広げていきましょう。そうすれば、あなたの言葉や行動が届く世界は、いまからは想像もできないほど大きなものになっていくでしょう。同じことを感じて、違うことを考えるんですよ。

 

俺からみんなへ。

サバンナの記事も、同じ論理で生まれています。俺があまりに行動できなくて、何をするにもためらってしまうから。それが嫌で嫌で仕方なかったから。嫌っていう感情が発生したときに立ち止まって、「なんでこんなことになるんやろ」と考えてみたから。コンフォートゾーンの話や遺伝子の話を見たときに、話が繋がっていきました。

もし俺がぱっと行動できて、すぐに成長できるような人間なら、この話は気づきもしなかったでしょう。不完全だったから、気づいたことです。

この記事を出すときも、正直、「こんなんでいいんかなあ。コピーライターのくせにショボい記事書くんやな、とか思われたら嫌やなあ。やめたいなあ。いややあ。」で、出しました。仕事でコピー出す時も毎回こんなんです。締め切りやから仕方なく出すけど、不安で不安で仕方ないです。

それでもここまで来れましたし、こんなやつの言葉も、案外届くもんです。こんなやつでもサバンナ書けるんだから、誰でも書けます。

同じことを感じているのだから、あとたった一歩。「考える」だけです。

考えましょう。

これに気づいてるか、気づいていないかしか差はないです。俺の3記事を通じて気づいてほしかったことは、あんなもん誰でも書けるってことと、そこまでそんな遠くないってことです。

俺は25歳で、この程度です。いまからみんながちゃんと気づいて、実行していけばもっともっと先へ飛べるでしょう?ほんと、みんなには俺と同じ轍は踏んでほしくないんです。

俺が散々失敗して気づいたことを、みんなボロボロに踏み倒して進んでいってください。

いつかあなたが社会で、あたらしいことをどんどん生み出しながら飛び回っている姿を想像しながら。俺は最後の筆を置こうと思います。

 

25歳のオッサンから、若いみんなへのエールでした。最後まで読んでくれてありがとう。


この記事を書いた人

神戸大学インターン

東妻 航太