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HOME > BLOG > 「ボランティア」に殺された。ボランティアの正解とは?

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こんにちは、インターンの海地です。

みなさんはFacebookなどで多くシェアされている、「ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。」という記事を読んだことはありますか?

私は、ボランティアに積極的に参加しているタイプではありません。

むしろあるタイプのボランティアをしている人に対して胡散臭さや、軽い嫌悪感のようなものを持っているとも言えます。

こんなことをいったら、おまえはひどいやつだ、思いやりが無い、と言われるかもしれません。

でも、みなさんにも少しボランティアについて考えて欲しいんです。

ボランティアっていうだけで手放しでいいモノとされること?賞賛されること?

グローバル化が進んでいく中で、ボランティアとはどのようにあるべきなのか、一緒に考えていきましょう。

ボランティアの定義

まず、この話をするにあたってボランティアとはどう定義されているのかをみておきましょう。

私は「無償で、特定の問題解決のためのアプローチをすること」だと思っていました。

ですが調べてみるとはっきりした定義が難しいみたいです。

 

ボランティアとは、一般的に自主的に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人を指す。(Wikipedia参照)

 

「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、

「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる。(厚生労働省資料参照)

 

以上をふまえて、今回は

ボランティアとは、主体性を持って集まった人々が無償で社会的な活動に参加し、奉仕活動をする

と定義します。

ボランティアに対する嫌悪感

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定義を見てどう思いましたか?

「めっちゃいいやん」

そうですよね。多くの人が肯定的な意見を持つと思います。

だからこそ企業もイメージアップのためにボランティア活動をしたりしています。

また、就職活動のためにボランティアをする学生は本当に多いです。

 

これって、「ボランティア」という社会的に賞賛される活動に参加することで、自分のイメージアップにつなげるというイメージ戦略ですよね。

これはボランティアを利用しているように見えます。

 

なんのためのボランティア?

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就職活動のために行われているボランティアを友達の話を聞く限り、「ボランティアをした事実」だけが欲しい、つまりボランティアをしたと履歴書やエントリシート、面接で言えたらいいだけのように感じます。

みんなでTシャツを作るのに何千円もかけて、おそろいのTシャツを作って集合写真をとり、SNSにアップする。

たいてい、「◯◯について学べてよかった!友達もめっちゃ増えた!」ということが書かれています。

継続的にやっている人はほぼいないです。

このタイプは完全に就活のためのボランティア、インカレサークルのようなノリですね。

 

また、海外に何万円、何十万円もためてボランティアにいって、現地の子供達と写真をとってSNSにアップして。

もちろん、BOPビジネスの現地調査のために、などはっきりとした目的を持っている人もいますし、ボランティアに行くこと自体すごく素晴らしいことなんだと思いますし、そのことに対して否定する気は全くありません。

ですが、そのボランティアに参加するために大学を休んでバイトして、海外にいっていいことをしたキブンで帰ってきて、

これで就活のネタはカンペキ!って言っている友達をみるとなんだかもやもやします。

 

これを書くことで自分の考え方が整理されたのですが、

ボランティアという存在が嫌なのではなくて、ボランティア利用したイメージ戦略をしている人がいやなんだと思いました。

もっというと、支援者のことも「考えた」上ならいいのですが、何も考えずただ自分の利益のためにしていることに疑問がある。

一緒にボランティアをすることを断っただけで、冷たいやつと言われたこともあります。

ボランティアをしている人を、「思いやりのある心のやさしい、いい人」って思うことを強制されている気がする。

私の性格がひねくれているだけですかね。

 

私が思うボランティア

では、そんなひねくれた私はボランティアについてどう思っているのか。

意外だと思われるかもしれませんが、ボランティア自体は「賛成」です。

基本的に責任をもつためなどの理由から、無償ですることより有償で活動をするべきだという考え方なのですが、支払えるお金は本当にないという困窮状態にある人もいらっしゃることはわかります。

だからこそ、そういう人たちに対して「無償」で奉仕活動や支援をしていくということは本当に思いやりにあふれた高尚なことだと思います。

イスラム教の喜捨、ザカートとサダカと種類はありますが、基本的に賛成です。

 

だからこそ、今のボランティアに疑問を持っているのかもしれません。

私はボランティアや社会貢献をしたいという気持ちはむしろ強い方だと思います。

社会貢献をする対象の人のニーズにあった、長いスパンで見ても本当に意味のあることをしていきたい。

被支援者では解決できないことを解決するのが支援者の務めであると考えています。

 

正義の違い

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では、どのように支援していくのか。

 

貧困にあえぐ人々への支援は

  • 「貨幣や食料、住居を支給すること」
  • 「仕事を提供すること」
  • 「自分でお金を稼ぐスキルを提供すること」

さまざまあると思います。

 

上から下に行くにつれて、一時的なものから長期的なものになっていますし、支援を出来る人も限られてくる。

 

もちろん、どの段階の支援もあると思います。

被支援者が必要としているのならどの方法の支援も間違っていない。

 

ですが、私は一時的な支援よりも根本的に問題解決を促す支援をするほうが被支援者のためになると考えます。

 

これは私の正義です。

 

一時的な支援をするために時間的、金銭的コストを今かけるよりは、その時間や金銭的コストを自分のスキルアップに使って、根本的な問題解決をできるようなスキル、支援をできる財力をつけてから支援したい。

そう思います。

 

もちろん、一時的な支援をするのが間違いだとは思いません。むしろ必要だと思います。

私のような考えだと、「今現在飢餓でなくなっている子供たちを見捨てるのか!」って言われそうですが、その「現在」の支援は「現在の支援」をする人が必要だと思っているので、どちらのタイプの人間も必要だと思っています。

 

まとめ

では、結局ボランティアの正解ってどこなのでしょうか。

それは、自分自信がボランティアに対する正義・信念を持つことだと思います。

そして忘れてはいけないのが、自分の利益にボランティアのイメージを使うのではなく、相手にとっての「しあわせ」「利益」を真剣に考えること。

立場によってしあわせの定義は変わります。正解はありません。

正義と悪は表裏一体。

相手のことを本当に考えることによって、みえてくるものがあると思います。

そしてそれに対する答えはなかなか見つからずに悩み続けるかもしれません。

ですが、考えて考えて考えぬくことで気づいたことはあなたの哲学になると思います。

みなさんは、ボランティアについてどう考えますか?

あなたの清きコメントもお待ちしております!

この記事を書いた人
海地円香
海地円香

コミュニケーションチームインターン

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