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お前はいつまでサバンナのド真ん中で生きてるつもりだ


はじめましての方ははじめまして。GOuniteチームの東妻です。
インターン生最後の1ヶ月に、なにやら勝負をすることになってしまいました笑
ぼくもコピーライターとして未来電子で働き続けてきた身なので、やるからには負けられませんね。せっかくなので、参加のみんなも、見ているみんなも。楽しみましょう!

 

おいしい。と、こわい。

みなさん、おいしい料理って好きですか?
カレーとか、みぞれミルフィーユ鍋とか、カルボナーラうどんとか、、、(僕が最近食べたやつです笑)やっぱりおいしいものってみんな好きだと思うんです。

あ、ここで少しだけ時間を取ってもらって、好きな食べものを思い浮かべてもらってもいいですか?

 

・・・

 

思い浮かびましたか?どんな気持ちになりましたか?
食べたくなりましたか?お腹が空いてきましたか?おいしそーってなりました?
どんな気持ちになったとしても、その感情はちょっと嬉しいような、ポジティブな感情だと思うんです。

 

この感覚を覚えた上で、もう少し読み進めてください。今度は逆をイメージしてみます。
みなさん、サメって好きですか?
どこかの国で檻に入ってサメを観察するアトラクションがあるみたいですけど、誰だよこんなこと考えたやつ。めっちゃ怖いじゃないですか。サメの目とか見たことあります?絶対仲良くなれない目してますよ。絶対クラスに1人も友達いませんよ。


僕は実際に海でサメに遭遇して襲われた経験なんてもちろんありませんが、サメを見るとなにやら恐怖が芽生えてきます。

サメが好きって人ももちろんいるんですが、最初からというよりも、映画『ジョーズ』を見たり、図鑑で見たりして、サメの恐さの中にある秘めた凶暴性、フォルムのかっこよさ、といったサメという「シンボル」を好きになったんだと思うんです。さすがに泳いでてサメに遭遇したとすると、「かっこいいー!」とか思うより先に、湧き上がる恐怖を抑えきれなくなるはずです。

 

この感覚も覚えてもらって、次に進みましょう。
なぜ2つの両極端な2つの感情を感じてもらったか。それは、感情の「正体」を話すためです。順を追ってお話させてください。
まず、おいしいという感情。そもそも、なぜ人はおいしいなんて感じるのでしょうか。時間軸を遥か昔に飛ばして、人類誕生のころまで遡ってみます。人類が誕生したと同時に、人類にはある必要性が生まれます。それは、「食べること」です。食べてエネルギーを補給しないと、彼らは一瞬で絶滅です。それは動物が持つ本能だけでも理解できます。ただ、当時人間は地球上に生まれ落ちたばかりの種族です。「何が食えるか」なんて知りませんよね。ある一定ぐらいは本能でわかる部分もあるでしょうけど、人類の数が増えれば増えるほど「食べたことがないもの」を食べる必要が出てきます。ただ、地球上には食べると死ぬようなものも数多く存在します。それが判断できない間は、食べるのも命がけです。食べられるとわかっても、当時は言語なんてないですから、他の人に伝えることができない。さて、どうしたものか。勘のいい方ならすでに察していると思いますが、人類はこれを「感情」として記憶したのです。つまり、食べられるものを「おいしい」と感じるように組み込み、その摂取を促進する形で種に伝えていたのです。だからこそ「おいしい」は、生存に必要なエネルギーを含んだ食べ物と紐づいていて、私たちの「生」に直結しています。遺伝子の観点からいえば、「おいしい」とは、「これは食べられるから食べろ!」という遺伝子からのメッセージであり、それを受け継いだ種だけが現世にまで生き残っています。

 

逆も然り。サメが怖いのは、サメが「生を脅かすかもしれない生物」だからです。もし遭遇したら殺されてしまうような生物に出会った時、「一狩りいくか!」みたいなポジティブな感情が発生するとどうなるか。逆に狩られてしまいます。その時期大剣なんて持ってませんからね。サメやライオンが怖いのは、遭遇して食べられてしまうのを避けるため。ヘビや蜘蛛が怖いのは、毒で死んでしまうのを避けるため。「怖い」という感情をちゃんと持てる人間だけが生き残ることができ、遺伝子に刻まれていきました。サメが怖いのは遺伝子が正常に機能している証拠。感情が死を回避させ、人類を生き残らせてきたといっても過言ではありません。

 

感情の正体

2つの感情の歴史を辿ったところで、感情の正体とは。
感情とは、「遺伝子の命令」なのです。
「美味しい」とは、生きるために「食べろ」という命令。「怖い」とは、生き続けるために「逃げろ」という命令です。つまり感情は、人類が生き残り続けるために遺伝子に組み込んだ、「抗えない命令」だということです。感情に逆らうことは死を意味していて、それが人類誕生から脈々と受け継がれているのです。
・・・で?

 

っていう話になるじゃないですか。ここからが本題です。
感情が遺伝子による抗えない命令だとしたとき、この命令は「いつの時代に最適化された命令なのか?」ってことです。人類が日常的に生命の危機にさらされていたのは、人類が食物を探しに草原に出ていた狩猟採集時代です。ホモ・サピエンスの時代で考えると、約600万年は狩猟採集時代であったと言えます。転じて、文化的に見たときには100〜150年前ぐらいに産業革命があり、ここ10年くらいでSNSやインターネット、スマホなどが普及しています。約600万年で組み込まれた遺伝子構造と、ここ100年余りで組み込まれた遺伝子構造。

さて、どちらが強いでしょうか?

という話です。火をみるより明らかです。遺伝子による感情の命令は、「狩猟採集時代に最適化された命令」なのです。

現代になって人類の文化が発展し、自然界の生命の危機が劇的に減ったにも関わらず、僕たちの遺伝子は相変わらず物陰からジャガーが飛び出してきたときに生きられるように命令を出し続けています。街中歩いてていきなりジャガーに襲われることなんてないじゃないですか。今となっては不合理な話です。

一方で、まったく恐怖を感じないのに人を傷つけまくってるものもあります。それは、車です。2017年の年間交通事故件数はだいたい47万件で、死亡事故は3630件です。例えばサメによる死亡事故件数は年間だいたい5人なので、いまや圧倒的に車の方が生命の危機に関わっています。それでも僕たちは車を見て恐怖を感じることはできない。たかだかここ数十年で生まれた車の危険性を、遺伝子に組み込むことはできなかったということ。

つまり、現代では遺伝子と文化との間に「進化的ミスマッチ」が発生しているということです。電車や車に乗ってどこにでも行き、インターネットやスマホでどこにでも繋がる現代で、僕たちの遺伝子はまだサバンナを生きているんです。サバンナでジャガーや毒ヘビに殺されないように必死なんです。

ここでみんなにお伝えしたいことこそ、

 

お前はいつまでサバンナのド真ん中で生きているつもりだ

 

ってことなんです。
進化的ミスマッチのせいで、人間ならごく自然に発生する感情が、現代では必ずしも正しく機能しないということが起きます。サバンナで生き残ることを最優先するように組み込まれた感情に支配され、本来やっていいことでも、過剰に「やめろ!」と命令してきます。完全に時代遅れです。いまや、遺伝子は「世界最古の老害」と化してしまいました。間違いなく遺伝子のおかげで人類は生き残ってきたので、確かにその功績は計り知れません。ただ、現代で600万年仕込みの勘違いをした老害に鎮座されても困ります。

 

一度その席をどいていただき、主導権を僕たちに譲っていただきましょうか。

 

コンフォートゾーンのリニューアル

コンフォートゾーンという考え方があります。
朝起きて歯磨きをする、ご飯を食べる、youtubeで米津玄師を聞くなど、いつもやっていてなんの不安もなく当たり前のようにできる領域をコンフォートゾーンと言います。コンフォートゾーンの中で行動していればストレスはありませんが、その分成長の幅もとても狭いです。すでにできることを繰り返しているだけだからですね。このコンフォートゾーンの外にはラーニングゾーンと呼ばれる領域が存在し、この領域において人は新しいことを学習する必要性が生まれ、かつ今までの経験を活かすことができるので生産性が最大に高まります。それ以上外に出てしまうとパニックゾーンと呼ばれる領域になってしまい、なにをしたらいいかまったくわからず、逆に生産性が落ちてしまうのでむやみやたらに未知の世界に飛び込めとは言いません。しかし、人が成長しようと思えば、どうしてもコンフォートゾーンの外に出なければいけません。普段慣れ親しんだ不安レベル0の状態から、多少の不安を背負ってでも新しいことを始める必要があります。ここまでは感覚的にもわかる人も多いのではないでしょうか。

 

さて、ここです。

コンフォートゾーンの外に出ようとしたとき、その行動を必死で止めてくるヤツがいます。一体誰なんでしょうね。
・・・そう、アイツです。世界最古の老害で有名な、遺伝子大先輩です。
コンフォートゾーンの外に出ようとしたとき、遺伝子は「危ない!そんな新しいとこに行ったらライオンが飛び出してくるかもしれない!死ぬ!やめろ!」とありがたーい警告をくれているんです。コンフォートゾーンの図で考えると、遺伝子に支配されているあいだはコンフォートゾーンが「異常に狭い」のです。守りすぎです。そう考えると、ラーニングゾーンについても合点がいきます。ラーニングゾーンは、「現代において最適なコンフォートゾーン」だということです。今のコンフォートゾーンはサバンナゾーンとでも呼びますか。飛び出したらライオンに食われるゾーンです。ビビり過ぎですね。
これを知って、僕たちはどうすればいいのか。
まず、感情が発生したとき、冷静になって「この感情を無視したら、自分は死ぬか?」と問うてみてください。感情は生存するために働くのですから、無視した結果生命の危機に陥らないのであれば、ただの誤作動です。感情の進化的ミスマッチを知っているあなたなら、この感情は「正常」か、「誤作動」かを判断できます。誤作動であれば、逆らってコンフォートゾーンから出る。最初は恐ろしく感じると思いますが、ここがまず一歩目です。
感情の誤作動をある程度冷静に判断できるようになってくれば、コンフォートゾーンから出る経験を少しずつ続けてください。頭では誤作動だとわかっていても、しばらくは強い拒絶反応を感じると思います。生物的に当然ですね。ただ遺伝子に教え込むことはできなくとも、自分の脳に「コンフォートゾーンから出ても大丈夫だ!」という感情を出すように叩き込むことは可能です。出て、拒絶反応が出たけど、大丈夫。こんな経験が続くと、さすがに脳もバカではないので「お、別に出ても大丈夫やんけ。これやったらもっとやっていいで!」とドーパミンを分泌し、コンフォートゾーンが広がります。この繰り返しを通じて、コンフォートゾーンを現代版にリニューアルすることが必要になります。

 

そういう僕も、ゾーンをリニューアルし続けてここにいます。大学までずっとコンフォートゾーンの中でライオンに食われないように、ラクに、ラクに生きてきました。そこそこの高校に行って、神戸大学に入学して、麻雀ばっかりやっては寝て、なんのストレスもない生活をしていました。遺伝子の奴隷ですね。でも就活をする必要が出てきたときに、冷静に自分を振り返ってちょっと恐ろしくなりました。アピールできることがなにもないんです。だって、ずっとコンフォートゾーンの中にいましたから。コンフォートゾーンにいるだけなら、人間であれば誰でもできます。感情に従うだけです。でも、そこにいる限りなにもできない人間になることを悟ってしまいました。そこから急遽コンフォートゾーンから飛び出し、休学してアメリカへ行きました。行く前はそれこそ僕の感情は「おい!お前死ぬぞ!」と叫んでました。でも、行ってみれば平穏無事。なんのことはありません。未来電子へインターンに応募したときも内心汗だくで、「死ぬうううう!」ってなってましたが、逆にどうやって死ぬのか教えてほしいです。死ぬどころか入社しましたからね。ギャップがすごいです。人間関係だってそうです。僕はもともと重度のコミュ障で、人の目すら見れなかったですけど、バーでバイトして強制的に話す環境を作ってみると、1年くらいでコンフォートゾーンに入っていきました。最初はお客さんにイジられると負の感情がかなり出ていましたが、今はそれが誤作動であることを知ってるので、イジられたときは必ず「これをどうやって面白くしようかな?」と考えます。別にイジられたって死にません。それだったら面白いほうが僕もみんなも楽しいじゃないですか。負の感情をコントロールすれば人付き合いだってぐっと変わります。

 

あなたが成長し、現代を生き抜くために。

この文章を通じて理解してもらいたかったのは、今あなたがいかに不合理な命令に従っているのかを理解してもらうことと、不合理な命令を無視して、成長していってほしいということです。負の感情が生まれたとき、そこから逃げたくなるのはすごく理解できます。それが人間です。でも、老害・遺伝子の奴隷になってしまうと、現代では逆に死んじゃいます。テクノロジーに仕事もってかれます。無能の烙印を押されます。元奴隷として、あなたにそうなってほしくはありません。案外リスクを取って外に出ても、だいたい死なないです。大学を7回生まで落ち続けても死にません。神大7回まで行ったのにドベンチャーに就職しても死にません。ここはサバンナではないんです。
サバンナのド真ん中で生きようとするのはやめて、もっとサバンナの外に出てみてください。そこにはライオンも毒ヘビも、サメもいません。案外自由で気ままな、社会の中で遊び回ってみてください。

 

最後に。

もし、あなたがコンフォートゾーンから出て、社会で成長することを決めたなら。ぜひGOuniteへ行ってみてください。GOuniteではさまざまな企業の日常に学生がポンと入り込むことができて、学生のコンフォートゾーンの少し外側、「社会」へと自由に行くことができます。期間も1ヶ月で8日間。他の予定を圧迫することもありません。サバンナから飛び出して、今の時代を生きるために、社会へと顔を出していきましょう。

 

 

サバンナから、社会へ。

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