やるべきことをやった上での提案には説得力がある

海地 円香

甲南大学 法学部法学科

ー2017年3月卒

PROFILE

大学1回生の3月から未来電子でインターンをはじめ、3回生の6月頃まで約2年間インターンをやり遂げる。 未来電子の最も初期の段階からインターンを始めており、当時の会社の様子を彼女は「砂漠で王国作ってくるような状態だった」と振り返る。初期フェーズの会社で味わう過酷さとその魅力について迫ります。

未来電子でインターンを始めたきっかけ

―海地さんがインターンを始めたきかっけを教えて頂けますか?

はい。1回生の時予備校で一緒だった阪大の友達に誘われて意識高い系のセミナーに行ったりしていました。その中でセミナー自体は面白いけれど、誰も行動に移していなくてとても頭でっかちになってるだけだなと感じました。

―行動に移していないのは違和感がありますね。

セミナーに違和感があると思っていた頃に別の友達から「何かやりたいなら、やばい人いるから会ってみない?」と言われて、ある人にお会いすることになりました。それが人材系の仕事をしている方で、その人にも「やばい人いるからとりあえず一回会ってみて」と言われて、連れてこられたのが未来電子でした。

―なるほど。結構怪しい感じがしますね…(笑)

だいぶ怪しかったです(笑)そのまま何もよくわからないまま面接みたいになっていって。でも後から思うと、私はその時からずっと農業系のことを将来やっていきたくて、それを話した時に私自身がやってみたかったことと同じことを言ってくださって、同時にアドバイスもくれていたことで未来電子でインターンをしようと後押しされたのかなと思います。

IT全般とブランディングの方法を学びたかった

―実際にインターンに入ってからはどのような業務に取り組んでいましたか?

初めはリスト集めをしてテレアポをしていました。初めて一か月後くらいにあった未来会議(社内ビジネスコンテスト)で代表からチーム編成をし直すと言われ、戦略コミュニケーションチームに所属することになりました。チームと言えど代表と私2人だけ。なのでほぼ完全に一人で部署を任された状態になっていました。

―具体的にはどんな業務を行っていたのですか?

簡単に言うと広報的な部分を任されていた形です。ブログ記事をインターン生が毎日書いていた時期があり、その時の記事が評価され、ライティングも業務として行っていました。他にもインタビューとかも行っていたりして、色々していましたね。

―その仕事は最初の面接の時に言っていた農業系のこととはマッチしていたのですか?

結論から言うとマッチしていました。私が農業系で課題に思っているのが「プロデュースの仕方」だったのです。今の農業というのは良い物は作れているけれど、それを上手に広めていくことが出来ていません。その中でITと掛け合わせた農業のマーケティングは可能性を秘めているなと思っていました。

だからIT全般についてまず学びたかったし、そこからどのようにブランディングしていけばいいのかを勉強したかったので、結局全部学べたという所では自分のやりたいこととマッチしていた部署に置いてもらえたと思います。

―扱うのが農業ではないだけで、ITを使ったマーケティングを実務として行えたということですね。

そうですね、最終的に広告の方もメインでやらせてもらえたので、自分のやりたいことはさせてもらえました。

最低限やった上で自分のやりたいことを提案する

―海地さんはバイトとインターンの違いは何だと考えますか?

自分から提案して仕事をすることがないのがバイトで、自分から手を挙げて提案を実行していくのがインターンだと思います。私は和食屋さんと甲子園のビールの売り子をやっていて、もちろん売り子の時はどうやったら多く売れるのかも考えて動くようにはしていましたが、結局根本的なところは変えられないなと思いました。

ビールという売り物が決まっていて、エリアも決まっていて、制服も決まっていて。それがインターンだったら本当に自分が変えたいことであれば企画書を作って代表に渡して、いいなとなったら次の週から実現できたのです。

―実行にまで持っていけていたのですね。

そうですね、当時は自分がこういう風に変えたいとか言ったら「じゃあやってみたら」という感じになって自分で変えれる部分が多くありました。

―もちろん人数が少なくて実行できたというのはあると思いますが、大部分は海地さんだから任せようとなっていたと思います。「なぜ自分が任せてもらえるのか」ということを考えたことはありますか?

レスポンスの早さと言われたことは絶対やるということは意識していました。もちろん先輩に教えてもらったことではありますが、結果として裁量権を与えてもらえるという評価につながったので間違っていないと思います。あとは勉強もかなりして、インプットの量を増やして、それをアウトプットしていました。

自分がやりたいことも「やりたいやりたい」と言っているだけでは絶対に任せてもらえないと思います。自分が最低限やることをやった上で、「自分はこれもできますよ」と言えるように自分で勉強して企画書も作って行動していました。やるべきことをやった上での提案には説得力もあると思います。

―その通りですね。

初期の未来電子は砂漠に置き去りにされる感じだった

―最低限やった上での提案というのはかなりエネルギーのいることだと思うのですが、海地さんのモチベーションの源泉は何だったのですか?

初めは社員さんを見返したかったという気持ちでがむしゃらにやっていました。というのも、インターンを始めた2日目くらいにかなり怒られてすごく悔しかったのです。

原因は私のパソコンのリテラシーの低さだったのですが、結構本気で怒られて。それで私が就職活動するくらいにはその社員さんに「この子欲しい」と言われるくらいになろうと思っていました。

―海地さんがインターンを始めて1年を待たずして、既に「欲しい人材」になっていたと思います。未来電子を卒業してからは他のインターンに参加していましたか?

短期のサマーインターンで10社ほど行きました。

―それらの企業は未来電子と比べてどんな違いがありましたか?

そもそもインターンを選んだのが、自分で面接に行ったのではなく、逆求人みたいな形式で見つけた企業に行っていて、結構手取り足取りやってくれるというものが多かったです。一方で未来電子は砂漠に置き去られて、「ここで自分の王国作って来いよ」みたいな感じで、1つの部署を任せられた最初の月は本当に生き延びるのが大変な感覚でした。

―本当に過酷な状態だったのですね。やはりそういう意味でも初期フェーズにいた海地さんとかは本当にすごいと思います。

でも、とてもラッキーな事だったと思っています。やはり会社が初期の段階でインターンを受け入れてくれるところはなかなかないですし、大変だったからこその達成感があったと思います。


入社後のステップ

・入社後メディアチームに所属し、アポインターとして従事
・インターン開始当時、社内メディアでのコンテンツ更新でライティング能力を評価され、メディアチームからPRチームの立ち上げに参画
・主に自社メディアでのライターとして取り組み、総PV数3万を超えるコンテンツを複数作成
・PRチームのライティングノウハウの基盤を作成

メンターの声

代表取締役/クリエイティブディレクター 福本真士

海地さんは会社としての仕組みが今のように整っていない時期からインターンとして活動してくれていました。0から何かを作っていくのはすごくしんどいことだったと思いますが、その中でも社内外から評価されるまで成長してくれたと思います。そして、多くの功績をこの未来電子に残してくれました。現在は大学を卒業されて、他の企業に就職されていますが、今後もその企業で多くの功績を残し、爆速で「女前」の社会人となり、活躍の場を広げていって頂きたいと思います。