2022.4.3

僕らのあるべき姿

慶応義塾大 インターン

森田祐輝


イシューとの向き合い方

イシューとの向き合い方について説明する。
まず、イシューを多くの人はわかっていない。
目の前の問題を解決することだけになるのは間違っているし、本質を捉えることをわすれている。
イシューとは、問題の本質のことである。
世の中で起きている問題のほとんどは、イシューの解決ができていないから繰り返してしまう。
これは個人の問題だけでなく、人との関係性や組織が関わってくる問題でもある。
物事を解決しようとしてもどうしても解決できない時はある。
しかし、それから目を背けず直視し、何が問題かを認識することがまず大切である。
イシューをしっかり本質で捉えること、それは単純に聞こえるがとても深い領域の話である。
イシューを理解すること、それが全ての始まりである。
イシューと共に生きるそれが私たちの宿命である。

利他的行動をとるか利己的な行動を取るか

利他的行動をとるか利己的な行動を取るかについて説明する。
人は、必ずしも利他的な行動を自分から取る生き物じゃない場合が多い。
利己的な何かの要因があって利他的な行動を意図的に取る人がいるのをよく目にする。
それは、いわゆる接待だ。
完全に利他的な行動を取るには誰にも、はいられない完全領域に自分の身を置く必要があり、不必要な争いや競争をするべきではない。
するべきではないというか、する必要がない。
真の利他とは当たり前のように行われるからである。
誰からの見返りも求めず、自分がやりたいからやる。
ただやるのではなく、相手のことを第一考えて動くことが大切である。
利己を求めるなら利己を完全に求めることが自然で、無理に利他的に見せると相手に不信感を与える。
利他の中に利己があることを気付きながら人と付き合っていくのはとても苦しい。
受け手がなんの違和感もなく利他を利己と感じないことも大切である。
信頼の構築がそもそも成り立っていないと、真の利他が成り立つことはない。
話は複雑になるが、いいところもある。
利己から利他に転じるそんな時をみなさんは想像できるだろうか。
転じる利己こそ良い利己である。
利己と利他について長々と語ったが、利己と利他はとてもコミュニケーションについて考える上で大事な要素である。
いつか自分も真の利他として生きていける人生を歩みたい。

まとめ

イシューと利他的、利己的な観点から見てどのような行動を取るべきかは大半の人は理解していて、やれないと決めつけているだけである。
やるかやらないか、迷うくらいならやる。
それが正しい。
僕らのあるべき姿とは、イシューの本質を見つめ、できるだけ利他的であること。
それが私の今後の成長につながると信じている。


この記事を書いた人

慶応義塾大インターン

森田祐輝