2019.5.31

高校の部活の顧問に嫌われすぎて既に錯覚資産を学んでしまってた話

高山眞太郎

京都大学 インターン

高山眞太郎


ごきげんよう。 未来電子インターン生の高山だ。

いまはPRの仕事を任せてもらいながら、俺が発案者の「松下村塾プロジェクト」を成功させようと尽力している。 俺の自己紹介はこれくらいでいいだろう。どうでもいいことだ。

え、なんでこんな喋り方かって?それについてはわからない、誰かの話し方がうつったのかもしれないが。

まぁいい。そんなことより。今日あんたに聞いてもらいたかった話は、俺の高校時代の話。 俺は高校時代にある大きな間違いを犯した。 その間違いからの学びが、いま仕事に関わらせてもらってるときに、ものすごく役立っているんだ。

特に、人間関係の部分に。 さて、あんたはこの本を読んだことがあるだろうか? 去年、市場を席巻した「錯覚資産」という言葉を生み出した本だ。 この本を読んだことが、今日のこのブログでの学びのシェアにつながっている。

本の要約をすると、人生は運や実力ではなく、肩書だとかイメージだとか、誰もがすごいと思えるいわゆる「錯覚」によって、勝負は決まっているという内容だ。

俺はこの本を読んだときに思ったんだ。 俺とおなじことを考えている、と。 厳密にいえば、俺には言語化できていなかったんだが、この本を読んだことで高校時代に自分が体験したことを思い出したんだ。

だから今回のブログは、俺が『錯覚資産』を知る前から、錯覚資産を直感的に活用していた話をあんたにシェアすることで、追体験を通じてこの学びを得てもらいたい。 じゃあ、はじめるぜ。

S高サッカー部

 

話は2014年までさかのぼる。当時の俺は京都のS高校E学科に入学。選んだ部活はサッカー部。

俺は、期待に胸を膨らませて部室の戸を叩いたんだ。

だが、当時の部活の環境は最悪だった。まずは、陸上部が強すぎることによりコートと肩身が狭い。走ってる陸上部にボールを当てないためにシュートも全力で打てないほどだ。

おまけに当時の俺からしたらS高校サッカー部のレベルは低すぎた。

だが俺はこう思うことにしたんだ。まぁ練習は置いておいて、ここでレギュラーを獲ることは俺なら造作もないことだろう。

 

 

 

 

だが、状況は全く違った。俺がユニフォームを着る機会はほとんどなかったんだ。

 

なぜか?

グレた?こんな喋り方だがいい子だったぜ、そんな理由ではない。

 

 

俺が試合に出れなかった理由は1つ。

 

顧問に好かれていなかったからなんだ。

 

考えても見てくれ、自分が試合に出れない理由が顧問に好かれていなかっただけなんて地獄じゃないか。

上回生達は顧問に俺を出せと言ってくれたが、それでも顧問は首を縦に振らなかった。俺は次第にサッカーへの情熱を無くしていった。

独自文化Tpoint、ついに仲間からの評価も下がる

 

さぁ、ではなぜ俺が顧問に好かれなかったか。

それはS高サッカー部に伝わる暗黙の掟を俺が破ってしまっていたからだ。

その掟というのが、

 

Tpointという鉄の掟だ。

「t ポイントカード」の画像検索結果

 

 

説明する。Tポイントとは、顧問のT畑にどれだけ媚を売れるか?という指標で、T(T畑先生に)ポイント(どれだけ媚びを売れたのかのポイント)を指す。

Tpoimtを上手く稼げたやつは試合に出れる、Tpointを稼げないやつはここでは試合に出れない。生き残るためには必要不可欠なものだった。

俺はその鉄の掟を破り、Tpointを全く稼がなかった。いや、稼ぎたくなかったんだ。俺には実力がある。それを認めさせてやれば、絶対に試合には出れる。俺はあいつらみたいなダサいことは絶対にしないぞ。とな。

 

 

 

 

だが、俺がどれだけ実力を見せつけようとも顧問の前では無駄だった。、、、

その癖実力で評価していると顧問は言うもんだから、俺はさらに腐っていった。

 

 

そんな中、転機は訪れた。

2015年の冬、次第に部活仲間からも、高山を試合に出すなら、今試合出てるN君の方が普通に上手くね?と囁かれるようになったんだ。

俺は悔しかった。いつのまにか自分の実力すら、他の奴らに抜かれるまでになってしまったんだと。

このとき、俺の中で何かが壊れた。

 

T畑、俺を試合に出せ

2015年1o月、自分たちの引退も近づいてくる。俺は、このままでは終われない。絶対に実力を認めさせてやる。と考えを根本的に改めた。もう守るプライドなんてない。もう腐るのは終わりだ、とな。

だが、二の轍は踏まないのが俺のやり方だ。

俺は決めた、Tpointを貯める。

 

 

それからの俺はもう別人のようだった。参加自由の朝練に参加をし、先生に元気よく挨拶をし、サッカーのプレースタイルも変えた。そっちの方が顧問に好かれるからだ。これまでのスタイルを大きく変え、顧問の好きな細かいダイレクトパスや全くしなかった守備までやりきった。

 

周りの目も変わってくる。初めは、どうしたんだ?と困惑した目で見てきた奴らも次第に俺のことを信頼してくれるようになった。顧問も次第に俺のことを気に入り、試合に出し始めた。次第に自分の中のサッカーもよくなってきて、本来の実力を120%出せる状態になっていったのだ。

俺は自分の実力を取り戻した。

その学びを活かし、今では、俺はまずは人に好かれるということにかなり重きを置いている。誰にも好かれるように振る舞うとかではなく、他人からの認知を可能な限り良くして、自分がどうしようもないところは無視という感じだ。

 

別にそれによって俺はプライドを売っている訳ではない。むしろ、そう思う奴は幼稚だとすら思う。自分の実力を出せる環境を整えていく。他人の感情によって自分の実力への認知を良くしていく。それこそ戦いを略すために必要なことだということが良くわかったんだ。

ここまで俺の話を聞いてくれた人たちには素直にありがとうと言いたい。そして、俺のストーリーを追体験したことにより、二の轍を踏まないことだけを心がけてほしい。人間は忘れやすい生き物だからな。

 

twitter→@Takayama_Shin

 

 

 

 

 


この記事を書いた人

高山眞太郎

京都大学インターン

高山眞太郎