2017.12.11

自分はストーリーを求めていると自覚することで少し楽になるという話

大阪大学 インターン

牛丸知也


皆さんこんにちは。マーケティングチームの諸々をやっている牛丸知也です。

僕は2017年いっぱいで未来電子を離れる予定なのですが、

 

「最後に牛丸の遺産を残していってよ(笑)」

「好きなことなんでも書いていいよ」

 

というお声かけをいただいたので、少し自分が考えていることを書いていこうかなと思います。

 

とは言っても、今まで自分の考えていることを綴るブログのようなものを書いたことがないので、何を書こうかな・・・とけっこう悩みました。なので、まずは軽く僕の好きなことから。

 映画が好き

 

僕は映画が大好きです。

映像と音、役者の表情、制作側の細部へのこだわり、人生を疑似体験できるなど、挙げたらキリがないくらいに映画には魅力がつまっています。

 

中1くらいから映画の沼にはまってしまった僕は、年100本近く観るくらいの映画愛にあふれる人間になってしまいました。

 

いや知らねーよ

と思った方が大半だと思います()

 

ただ、今回僕がこのブログを書いているのは映画トークをしたいからではなく、僕が映画を好きな理由の1つが生き方を考えるうえでけっこう重要なんじゃないか、なんて考えているからです。

 

その理由の1つが「ストーリー」です。

 人はストーリーを求める

映画に限らず、小説や漫画、ドラマ、演劇など、現代社会では様々なところでストーリーは価値ある娯楽とされています。

ワイドショーで取り上げられる有名人のスキャンダルなんかも、大衆に消費されるいわば一種のストーリーですよね。

また、現代社会に限らず、童話や宗教、神話など、人ははるか昔からストーリーに慣れ親しんできました。

 

つまり、人は「物語を求める生き物」であり、同時に「物語る生き物」でもあるといえます。

 

ここで、「なぜ人はストーリーを求めるのか?」という疑問が生じますよね。

 

それは、人はストーリーをもって物事を理解しようとするからだと考えられています。

皆さんは、分からない・理解できない・納得できないという状態にストレスを感じませんか?

人はそのような状態にストレスを感じる生き物であるため、ストーリーを用いて因果関係を成り立たせ、物事を理解しようとします。

ここで重要なのは、その因果関係が正しいかどうかではなく、自身が「分かった気になる」ことなのです。

 

例えば、赤いパンツを穿いた日に受けたテストで良い結果が出た子が、「テストのときは赤いパンツを穿こう」と考えるのは、その典型だと言えます。

冷静に考えればパンツの色がテストの結果とは関係がないのは明らかですよね。

しかし、この子にとってはなめらかなストーリーになっており、因果関係としてつながっているのです。

 

皆さんもこのような願掛けをしたことがあるのではないでしょうか?

 

ちなみに僕は勝負パンツ持ってます()

 

また、僕が好きなどんでん返しものの映画が受ける理由も、ある程度これによって説明できます。

どんでん返しものとはいえば、予期せぬ展開によって観客を驚かせる類いのものです。

しかし、その予期せぬ展開があまりにも荒唐無稽で唐突なものだと、良いどんでん返しものとしては成立しないでしょう。

その予期せぬ展開を観た観客が頭の中で、それ以前の内容と予期せぬ展開をストーリーとして結び付け、「理解する」ことで初めてサプライズとなり、どんでん返しは成立するのです。

 

先ほど挙げた不倫報道なんかも同じですね。その人の人間性や状況に関わらず、「不倫は道徳的に悪であり裁かれるべきだ」という人々の心の中にある図式に基づき、報道という形で裁かれる。

その状況に因果関係を見出し、視聴者はある種スッキリした気持ちになる。

 

ちなみに不倫を擁護したいわけではないですよ()

 

つまりここで言いたいのは、「人は、原因や因果関係を求める生き物であり、それによって物事を分かろうとする。ただし、そのときの原因や因果関係の正誤は関係ない。」ということです。

「長期インターンシップを始めれば成長できる」は正しいのか?

 

ここまで述べてきた、人はストーリーを求めるという性質を理解すると

「成長するには○○をやるべき!」

「○○社に入れば人生勝ち組!」

のような「AすればB(良い結果)になる」という言説が注目を浴びる理由も理解できるかと思います。

ただその問題点でもある、因果関係の正誤を考えないまま鵜呑みにしてしまうという人も多いのではないでしょうか。

 

それを踏まえると、「長期インターンシップを始めれば成長できる」というのも少し考える必要がありそうです。

これは、僕が未来電子に入る前にふわふわと思っていたことですね() 

そして9ヶ月在籍して思うのは、これは誤っているというか、少し違うなということです。

 

まず、この考えを僕の場合まで落とすと、「長期インターンシップを始める=未来電子に入る」となります。

つまり、「未来電子に入れば成長できる」だろうと考えていました。

ここにあるのは、未来電子という「環境」への期待だということは分かってもらえるかと思います。

僕と同じような「環境」への期待を持って入ってくる人はたくさんいます。

 

「未来電子は自分を成長させてくれるだろう」と。

 

 

しかし、初めから裁量のある仕事をして成長するなんてことはあり得ません。

着実に成果を残して自分で機会をつかんでいく必要があります。

つまり、「未来電子という環境に身を置けば絶対成長できますよ」なんていう虫のいい話などあるわけがなく、結局は「未来電子で自分が何をしたか」が大事だということです

そんな当たり前のことにも僕は盲目になっていたようです。ただ、同じような期待を持っている人は僕の周りにもいて、「環境」への期待が大きいほど現実とのギャップを感じてしまい、環境に対する不満以外何も生み出さず辞めていくという人をちらほら見ました。

 

そう考えると、「環境」への期待のみを生み出し、「自分」は何をするのかということを排除している、

「長期インターンシップを始めれば成長できる」というふわふわした言説は、正しいとは言えないでしょう。

AすればB」のAに苦しまないために

 

ここまで述べてきたように人はストーリーを求める生き物なので、正誤に関わらず何かしらの因果関係を作って物事を理解するのは自然だといえます。

そしてその弊害として、AすればB」のAに苦しむ人もいるのだと思います

 

例えば、先の長期インターンシップの例のような、「AすればB(良い結果)」のAが環境や他者である場合。

つまり、無責任に環境や他者に期待してしまうという状態です。

この場合、自分から環境や他者に働きかけていないことが多く、期待に沿わない可能性の方が高いでしょう。

そして、期待に沿わなかった際に生じるギャップは、おそらく大きな失望しか生み出しません。

 

そして、ストーリーを自分に向かわせてしまうときもあります。それが、「AすればB(悪い結果)」のAが自分である場合。これは、既に起きてしまった出来事であることが多く、

「私があのとき○○しておけばBにはならなかった」「Bになってしまったのは私のせいじゃないのか」という形で自分を苦しめてしまいます。

 

僕がこのようなことを考えているのは、実際こういったストーリーによって苦しむことが多かったからです。勝手に人や環境に期待してしまうことやその後に失望すること、謎の自己嫌悪に陥ることも多々ありました。

しかし、自分はストーリーを求めており、自分の期待に基づくストーリーを勝手に作っていると自覚するようになったことだけでも、少し楽になったように思います。

周囲や自分に対して無責任に期待するようなことは減りましたし、自己嫌悪に陥る前に捉え方を変えて原因を考えるようになりました。

このように考え方を変えて自身のストーリーを変えられるのは、きっと人はストーリーを作ることができる「物語る生き物」だからなんだと思います。

 

なんか最近生きづらいなーなんて考えている人がいたら、こんな考え方もありますよ程度に参考にしてもらえたらと思います。

 

長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

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