2017.6.20

休学は、あなたの権利。いい寄り道をしよう。

神戸大学 インターン

東妻 航太


 

 

休学って、なに?

賛否も多い、休学。

 

「就職で不利になるから、やめておいた方がいい。」

「休学なんかするぐらいなら、1年でも早く働いた方がいい。」

 

よく聞く批判は、このような内容が多いように感じます。

要するに将来働く上で、不利というのが否定派の中心的な考えだと読み取れますね。

その考えも、正しいでしょう。

休学には少し、つまづいたというネガティブなイメージもついてまわる言葉です。

これは仕方がありません。

だって、「休学」そのものにはなんの内容もないんですから。

休学そのものの意味は、「大学を、休んでいる。」これだけです。このままだとネガティブなイメージがつくのも仕方がないでしょう。

だからこそ、休学者には説明責任がついてきます。休学をして「なにを、したのか。」これは、あなたに説明する責任があります。「休学」というなんの意味もないカタマリになってしまわないように。

あなたの休学、ちゃんと説明できますか?

説明責任を果たせるなら、なにをしても自由です。ぼくも休学をしていますが、休学に対する世間の風は思ってるよりもあたたかい。

やりたいこと、やっておかないといけないことがあるなら、休学は人生の強力なカードになりえます。

 

休学は、権利。使っていい。

休学は、大学生が持っている選択肢です。言い換えれば、れっきとした権利です。使っていいんです。

これまではなぜか「休学は、悪!」みたいな風潮がありましたが、今は第二新卒の採用が一気に増えてきていることからも読み取れるように、「年齢に関係なく、いろんな経験をしている若者を採用したい」という流れがきています。

これは、チャンスです。チャンスなのです。

今までの流れのままふつうに大学生して、ふつうに就活してるひとよりも、ちょっと寄り道して、なにか持って帰ってきたひとがこれから輝く可能性が高まってきています。

海外ではこうした人生の寄り道を、公式に認める制度があります。

ギャップイヤー。聞いたことありませんか?

 

ギャップイヤーは、卒業後に進学や就職をせずに、自由に過ごす時間のことです。ハーバード大学では合格通知の中でギャップイヤーを取ることを勧めているほど、ギャップイヤーはひとが育つ上で重要だとみなされています。

ぼくがアメリカに留学していたときには、銀行に就職したあと、ギャップイヤーを取って留学に来ているドイツの友人がいました。ドイツの労働生産性は日本のおよそ150%にもなりますが、こういった制度に国ごと前向きなのも一因なのではないかと感じました。

ギャップイヤーは日本ではまだ一般的ではありません。制度としては、まだありません。が、自力で作ることはできるでしょう。

そう、休学です。

 

休学だろうが、ギャップイヤーだろうが、名前なんてどうでもいいんです。

世間的にも、広く見た世界でも、寄り道は必要だと認めてくれているんです。だったら、迷う必要なんてありません。

寄り道、しましょうよ。

ただ、どんな寄り道かは考えないといけません。

 

いい寄り道、わるい寄り道。

いい寄り道は、定義がむずかしい。

精神的に疲れて休学したって、心の病を乗り越えた人生のストーリーが増える。学費が足りなくてバイトに明け暮れたって、経済的な本気の苦労ができた強いストーリーになる。どんなことも、聴きたくなるストーリーになります。誰かが「あなたの話を聴きたい」と思えば、それはいい休学です。

逆に言えば、わるい寄り道は簡単に定義できます。説明ができないことです。ストーリーになっていないことです。

休学をすることへの不安は、全部自分以外のひとが、どう思うかに依存しています。

自分以外の誰かは就職の面接官かもしれないし、両親かもしれない。そのひとたちが「いいね」と思ってくれる可能性がないなら、それはわるい休学です。

説明できないなら、「いいね」と思われる可能性は0です。だからこそストーリーがほしい。

 

休学中のことを、だれかに話したいと思える?

 

こう自分に問いかけましょう。話したくなるストーリーを持っていれば、誰かが聴きたくなるストーリーになっていくはずです。

 

そういうぼくは、どうなのかって?

ごもっともですね。ぼくも休学を2回経験した、寄り道多めの学生です。道草食いまくっています。

ぼくは今まですべての人生よりも、休学期間で語りたいことの方がめちゃくちゃ多いです。休学するまでのぼくは、いわゆる優等生でした。

 

性格的には優等生ではなかったですが、いい高校に行き、いい大学に行き、とりあえず授業を受ける。いわゆるふつうの学生でした。

そしてふつうにいい企業に行こうと思っていましたが、このへんで違和感が膨らんでいきました。「このままでいいんだろうか」と。

よくわからなかったのですが、とにかく自分の人生がつまんないと思ってしまったんです。話せることが、ない。

 

つまらない原因を考えると、どう考えても経験の幅が狭すぎました。少なくとも、日本から出なくてはいけないんじゃないかと思い、3回の夏から休学をして、突然アメリカへ行ってきました。親、泣いてました。(ほんまごめん。)

 

留学の経験だけで1記事以上書けてしまうのですっごく省略しますが(詳しく聞きたければ教えてください)、留学に行って、「まるで言葉が通じない」という日本では経験できない生き地獄を味わいました。

スタバでコーヒーを頼んで謎のフラペチーノが出てきたときは、さすがに打ちのめされましたね。

友達もできるんだけど、話せない。クラスが一緒だから仲良くしてくれるけど、友達がなに言ってるのかわからない。伝わってはいないから、やっぱりどこか距離がある。話そうにも英語はそんなすぐできるもんでもない。めっちゃ苦しんだけど、その中で自然に「言葉に頼らず」コミュニケーションを取るようになっていました。

 

表情とかしぐさって、国が変わってもだいたい一緒です。雰囲気でわかるようになってくる。こっちが話せなくても、相手が言いたいこと言えてればいいんです。それがなんとなく伝わってればいいんです。それだけでコミュニケーションは成立する。3ヶ月も経つと、バチっと英語がわかる瞬間がやってきます。

でも、英語ができるようになっても意外と変わらない。言葉を縛られたときにやってたあれが、コミュニケーションの本質だったんじゃないかと思います。コミュニケーションの本質。これは言葉が通じる限り、体感できないことかもしれません。

 

これでも経験できたことのほんの一部です。「英語ができなかった」ってだけでも、これだけ話せる。このあと帰国して、またしても色々ありました。就活をやめて、休学して、未来電子のインターンに身を投じました。就活のときはやりたいこと、できることなんてなにもなかったけど、今は「書くこと」が仕事です。未来電子でコピーライターになって、英語でデザイナーと話して、いろいろ書いて作ってます。自分の進むべき道が、見えはじめました。

ぜんぶ、寄り道をしたから気づけたことです。ふつうにしてたらきっと話せもしない、つまんない人生でした。危なかったです。

 

迷うぐらいなら、なにをするか決めよう。

迷ってるなら、なにか現状に不安があるはず。将来へのぼやっとした不安は、みんな抱いてるものです。

ぼくもそうでした。「このままやってても、きっとなにも変わらない。」みんなそう思ってるけど、なにをしていいかわからないんです。

でも、休学してなにかをしようとしているあなたは、変わろうとしています。あと一歩、踏み出すだけでいい。

なにをしましょうか?なんでもいいですよ。

なにかが決まれば、あとはやるだけです。休学はそこまで恐いもんじゃない。

一歩踏み出そうとしているあなたを、休学の先輩として応援しています。

 

この後読まれている記事

インターン・留学・就活。やることは全部「繋がって」ますか?
京都大学の学生が長期インターンに行くべき理由とは?
学歴じゃんけんでほとんど負けない大阪大学の学生がインターンをする理由
京都大学生の私がインターンを通してPDCAサイクルを円滑に回すコツを見つけた話


この記事を書いた人

神戸大学インターン

東妻 航太