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NO DISGUST, NO LIFE

今すすめてるプロジェクトの性質上これからのメディアについて考える機会があり、今後のメディアの在り方について思いを巡らせることが多くなってきた。

ことのキッカケとなったのは、FacebookやTwitterとかニュースアプリに流れてくる情報が、人間の精神的成長とテクノロジーの進歩においてはそんなに寄与していないと思ったことからです。
 
 

それほど価値がないのにみんな新しい情報を知りたがる

 
 
ソーシャルもニュースもひとまとめにしてから分類すると、流れてくるのは友人の情報とメディアが流す付加価値情報です。
 
 
友人の情報は承認欲求、メディアが流す情報も営利目的を経て結局は承認欲求になる。
 
 
さらに新しく得た情報もまた自己の承認欲求のためだけにシェアされ続ける。どこまでいってもみんな無意識のうちに認められることを目的にして情報を流し続ける。

当然僕自身も何かを発信するときには、そのような承認欲求から湧き出た目的が無意識のうちに文章に滲み出ているんでしょう。
 
 
ちなみに今日は何を書きたいかというと、仕事に役立つ最新情報を見たらダメとかそんな話ではなく、情報発信は目的を超越するべきでもっと本質的な部分に訴求する伝え方をしようぜってことです。
 
 

承認欲求の連鎖がメディアをつまらなくさせる!

 
 
だから純粋に心から思うことだけをぶちまけ続ける!伝える内容がキレイであるべき理由はない!そんな感じの話です。
 
 

想定の範囲外にこそ人間の魅力が詰まってる

本当に見たくなるメディアっていうのは誰かの承認欲求が見え隠れするものではなくて、もっと見た瞬間に「うわぁっ!」って衝撃を与えられるもので、さらにもっと想定よりも気持ち悪いものなんですよね。
 
 
ここでは衝撃とか気持ち悪いって書きましたけど、バイラルメディアチックな誰が作っても同じになる既成の衝撃や気持ち悪さとはまたちょっと違います
 
 
僕がいいたいのは自分自身の人間性としての本質というか、他人が触れたら気持ち悪いと感じる部分を剥き出しにして、評価も何も求めない気持ち悪いものだけをただぶつけ続けろってこと。
 
 

キレイなものが流れてくるメディアはもういらない

 
 
もっともっと本質的個性を剥き出しにする思考をぶちまけないと、結果コモディティ化されてしまって誰がやっても同じ、どこが出しても同じに見えてしまいメディアの存在価値はなくなってしまう。
  
 
ただそれは何も文句ばっかり書いて炎上を起こそうとかそういうことではなくて、読みやすいとか分かりやすいとかにこだわっててもしかたないってこと。

自分の考えてることをわかりやすく伝えたところで、それはよく思われたいという承認欲求から行われる行為であって、本当に伝えたい本質からは大きく道が逸れてるんじゃないかと。
 
 
誰の評価も気にせずにぶちまけるだけぶちまけた時にはじめて、そこに個性が浮かび上がる
 
 

NO DISGUST, NO LIFE

 
 
思ってることをしっかりそのまま自分の言葉で伝えたら、自分という人間のウザさキモさ異常さが見えてくる。

その醜悪な本質にこそ人間は惹きつけられ、気持ち悪い奴らだけが集まってニタニタ笑ってる状態が実現する。
 
 

恐怖に向き合うことがメディアに向き合うことだ!

ブログに貼り付けられてるアフィリエイトのリンクをみたら「あっこれは広告や!」って思って自然と避けてしまうでしょ?
 
 
なんで避けるかっていうとその先に自分が求める答えがないことがわかっていて、何かを売られる嫌な感じしかしないから避けるんですよ。
 
 
上手く伝えようとしてることもそれと同じ。
 
 
いつか近い将来、無意識のうちに「あっまた同じようなコンテンツや」ってなってるでしょう。それが悪化すると「あっこいつウソの人格で目的達成のために媚びを売ってる」ってなってくる。
 
 
本心を書き殴っただけのどんなクソ文章よりも、キレイにまとまってる文章の方がよっぽど下品にみえる。
 
 

キレイなものを書く人間は全然恐怖に向き合っていないんだ!

 
 
常に評価を求めていて、これをやったらやばいとか仕事がなくなるとか、お金にならないんじゃないかとか。
 
 
キレイにまとまったことをお金に変えても仕方ないじゃない。
 
 
お金を否定しているわけじゃなくて、そのやり方では長期的に価値が残り続ける情報資産にはならないってこと。

お金にキレイも汚いもないからどんなお金でも集まればいいと思ってると、そのニオイがぷんぷん臭ってくるクソメディアに成り下がってしまう
 
 

まさにウォンツのパラドックス

 
 
本当に惹きつけたいのならば惹きつけないことことそが真なり

人間を本能的に惹きつける領域にだけ訴求し続けることで、パッと見た人が「何これ!キモっ!」ってなるもの、そんな無害だけどキモくてインパクトがあるものはまた見たくなるもんなのです。
 
 
営利目的を完全に度外視して、筆者の異常性を描き切った時にはじめて同じ穴のムジナが寄ってくる。そんなものそんなもの

でもねこの議論を深めていくと、
 
 

アートは金にならないから商業的にやってんだろ

 
 
って意見がでてくると思う。
 
 

だからこそなんだよ。
 
 
長期的に生き残っていくのはやっぱり、思うままに書いたハイコンテクストなものなんだよ!

はてブでも1,000くらいついてる記事はすっごくわかりやすくて、いい感じのまとめとかテック系のローコンテクスト記事が多い

しかし、3000を超えるレベルになってくると生き残ってるのはハイコンテクストなものばかりで何度も読み返したくなって本当に長期的な強烈な価値が残るものになる。

どういう論理か一流の人はこのあたりの嗅覚がずば抜けているので、このロジックをしっかり落とし込んで実践していくことが実は、おもしろくて楽しい仕事につながってお金にもなるという逆説的セオリー。
 
 

ここでもウォンツのパラドックス

 
 
そしてそんな一流の人とだけぶつかることで人間の精神的成長が待っていて、高位な思想を止揚させながらテクノロジーの進歩も巻き起こっていくと僕は信じています。
 
 
ウォンツのパラドックスってほんますごいな。何にでもあてはまってしまう。
 
 
えっ?ウォンツのパラドックスは誰が考えたかって?
 
 

俺だよ、俺!

 
 
ネーティネーティ、NO DISGUST, NO LIFE

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この記事を書いた人
福本 真士
福本 真士

代表取締役社長/CEO

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