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HOME > BLOG > 催眠術について突き詰めて考えてたらプログラミングと東洋哲学につながったという考察

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催眠術と東洋哲学を掛け合わせたハイブリッド人間論

僕は好奇心が勝つと体験欲求が止められなくなります。今日はそんな好奇心から大学時代に没頭して研究した催眠術の話を少し。
 
 
はい、あなたが言いたいことはわかります。
 
 
自分が意味わからんもんに没頭することは理解しています。少しでも幅広い領域の話をできるよう常に心掛けております。
 
といっても催眠術は年に一回の頻度で思い出す程度なのですが、今回の「思い出し」で催眠術について改めて深く考えてみたので聞いて下さい。
 
 
なぜ聞いてもらいたくなったか?
 
 
実は少し前に書いた東洋哲学プログラミングの習得過程の話にまでつながったのでシェアしたくなった次第です。
 
 

催眠術ってつまりなんなのさ?

別に今日は「これさえやればあなたも今日から催眠術師!」みたいな話ではありません。

僕はこれまで過去200人以上に催眠術を行った経験があります。大学の友だちやバイト仲間、社会人になってからの友だちや同僚などなど、あくまで余興程度の領域ではありますがみんなには楽しんでもらえました。

やはりテレビで見た印象が強いのか、体験してみたいと思う人が圧倒的でしたね。
 
 
そもそも催眠術はかかりたくない人や信じていない人はかからない!
 
 
これが催眠術の本質でこれがすべて。僕からしたら対象が催眠術にかかろうがかかるまいがどちらでも結構なのです。そんなの存在しないと否定してもらっても何でも結構。その体験をするかどうか選ぶのは自分自身だけなのだから。
 
 
なので「かかってみたい」とか「かかりそう」って人は本当によくかかりますね。
 
 
その程度のものです。術者への信頼がすべて。だから信頼感を上げるための口上が大体先に行われることが多いです。

あと信頼度のさらに高める手段として筋肉疲労を使った疑似催眠体験をもって、体がいうことを聞かない状態を再現して驚かせる。そしてすげぇってなって信頼度を上げるなんてことも多々あります。
 
 
要は、信頼度が沸点に到達して、対象の催眠術にかかりたい気持ちがMAXになった時に、俗に言う催眠現象は起こるのです。これが前提条件ですね。

かかるどうかは信頼感とマインドセットにかかっている。
 
 
というか催眠術って何なのって思う方も多いと思います。「術」とは書かれてありますが「術」でも「魔法」でも何でもなく催眠術とはつまり、
 
 
論理的矛盾のあることを論理的に考えてもらうこと
 
 
なのです。

例えば腕を曲げてみてと伝えたら曲げられますよね。

でもね、曲げ方を説明してって言われたら説明できないと思うんですよ。「曲げる」という脳内化学物質は出したけど、どうやって曲げたのかは説明できない
 
 
この腕の筋肉繊維を一本一本操作し・・・
 
 
嘘つけ!!!
 
 
そんなこと説明できないですよね。そんな感じで説明できないことを説明させるというように、論理的に矛盾のあることを論理的に考え続けてもらうと混乱してくるんですよ、そしてその先に人間はどうなるか。簡単です。
 
 
考えることをやめるのです
 
 
おもしろいことに考えるのをやめてしまうんですよね。意識はありますが体を動かしている潜在意識と完全に分離された状態になり、頭では考えられるけど体が言うことを聞かない、みたいなことが起こります。
 
 
これって超東洋哲学的じゃないですか?
 
 
老子が語った「無為自然」の哲学。

自分の体なんだから全部自分でコントロールしてると思ったら大間違いだよ。自分がやってることは無意識が勝手に体を動かしてるんだから、自分でコントロールしてるとか考えるなんておこがましいキミ
 
 
ただ自然に湧き起こってくる行動欲求に身を任せちゃいなよって話。
 
 
さらに親鸞聖人が語る「他力本願」もそういうことですよね。他力本願には「他人の力をあてにする」なんてゴミみたいな意味はありません。これ誤解です。本来の意味は、
 
 
老子の語る「無為自然」と同じ。
 
 
自分なんてコントロールできないんだから、自分以外の自然に湧き起こってくる「他力」に身を任せようってことです。
 
 
他力とは何か?
 
 
あなたの体を動かしている何かの存在です。
 
 
ここまで言えばイメージができてきましたか?
 
 
催眠術とはつまり、
 
 
釈迦の「悟り」の疑似体験なんじゃないかということ
 
 
「無我の境地」や「無分別智」です。
 
 

混沌に引かれた境界線をクリアにして道(タオ)に戻す

なんか内容が宗教的になってきましたが、宗教と哲学はかなり密接な関係なので仕方ありません。しかし僕は宗教家ではありませんので、何かを押しつけたり押しつけるものも持ち合わせておりませんのでご安心を(笑)
 
 
催眠術にかかってる人は「暗示」によって行動を制限されます。
 
 
僕は「暗示」とは現実の世界に新たな境界線をもうけること、ではないかと考えています。

対象者はこれまでの人生の中で、あらゆるものに境界線を引いて言語化し物事を理解してきました。これが分別智です。

そこにいきなり僕という侵入者がやってきて、今まで引いてきた境界線を次々にクリアにしていきます。「おいちょっと待てよ」って対象者の理性に言われますが僕は止まりません。そして言うのです。
 
 
自分の名前が言えなくなる
 
 
当たり前ですが自分の名前は言えます。

しかしこれまでは「自分の名前を言う」という行為を言語で理解していました。そこをクリアにされてしまうとどうでしょう。どうやって言えばわからなくなりますよね。
 
 
「自分の名前は言えないもの」という新しい境界線が出来上がるのです。
 
 
ここで出てきた「境界線が全部なくなった状態」。これこそが龍樹が般若心経で語った「空の哲学」であり、老子の「道(タオ)」であるのです。勝手に境界線を引いて苦しむなって話。
 
 

悟りの疑似体験と言えばおこがましいが近い内容ではあると思う

 
催眠術で自分なんてそもそもコントロールできないということを認識したら、手足をもがれ言語をもがれ、次第に考えることすらをやめ呼吸だけに集中する
 
 
すると、そこに置き去りにしてきた「自分の言うことを聞かない客観的な私」だけが浮かび上がってくる。
 
 
その存在に気づけたらポジティブもネガティブもなく、彼氏彼女の恋愛事情に一喜一憂することもなく、自分の好奇心だけに従って勝手に体が動き出すんじゃないかと思うんですよ。

何が言いたかったかというとつまり、
 
 
催眠術ってすごくね?
 
 
ってこと!
 
 
 
本質的に考えると「マズローの欲求5階欲説」なんてないのかもね。
 
 

プログラミングの習得過程も実は同じなんじゃないか

最後になりましたがプログラミングの習得過程も催眠術や東洋哲学に似てないかという冒頭の布石も申し訳程度に回収しておきます。

いまPBC(プログラミングブートキャンプ)にてド素人を鍛えていますが、答えを教えるのではなく言わば禅問答のような状態です。
 
ちょっと考えたくらいでは答えられない課題にチャレンジさせて、自力でステップアップしていく中で徐々に問題の本質を捉えコードを書けるようになっていく
 
 
そして最終的に僕のところにやってくるのです
 
 

PBC卒業生「・・・ありがとうございました」
 
 
「伝えたかったことが何なのか気づけたかね?」
 
 
PBC卒業生「はい。プログラミングができるようになることがPBCの目的なのではなくて、考えることをやめることで苦手意識が消え去り、ただプログラムを書いてこの問題を解決したいとだけ思えるようになりました。

そしてフラットな気持ちで問題に立ち向かうことを体験できたので、これからはプログラムに限らずどんな問題でも解決できることがわかりました。」
 
 
PBC素晴らしい・・・

 
 
こんな意味わからんことばっかりやってる会社です。会社というか自分だけか・・・

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この記事を書いた人
福本 真士
福本 真士

代表取締役社長/CEO

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