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プログラミングと成長と東洋哲学と宗教は本質的には同じもの

8月といえば夏休み。

社会人として働いていれば関係のない言葉ですが、うちの会社は大学生がたくさん来ているので夏休みという言葉が社内でよく飛び交っています。

なぜ大学生がたくさん来ているのかについては、前回のエントリーを読んでみてください。→失敗から学ぶ!学生インターンの採用における現実とデキる学生の見極め方
 
 
さて今日はですね、インターン生の受け入れをほぼ「愉快犯」として行っている僕が、学生に学ぶ環境を提供する中で気づいたことを、プログラミングと成長と東洋哲学と宗教の観点からまとめます

関心のベクトルを外から内に切替えることから始める

今日の大見出しにある「プログラミングと成長と東洋哲学と宗教は本質的には同じもの」について、最近入ってきた新インターン生と自分の過去の経験とを重ね合わせながら考えてみます。
 
 
なぜそう思うのか?
 
 
1つずつ説明します。まずこの8月からプログラミングを学びたいって言って変なインターン生が未来電子にやってきました

なんで学びたいのかを聞いてみると、2ヶ月後からシリコンバレーのとある会社でインターンに行くから、それまでに力をつけたい的なことをうんぬんと語り出したのですが・・・
 
 
知らんがなっ!!!
 
 
とはっきり言葉にして伝えてしまいましたね。だってほんまに知らんから。勝手に行きなはれやって感じ。

どこかでうちの会社のことを聞いて紹介の紹介でやってきた彼は、自分の目的を達成するためだけに僕たちを利用しようとしていたのです。それは別にいいのですが彼自身に中身がないのが問題。

しかもこれまでのプログラミング経験を聞くと、たらたらとキーワードを立て並べるだけで、プログラムを書いている人間が聞けば「何もやっていない」と判断するしかない内容でした。
 
 
でも、なんかゆとり世代爆進中という感じでおもしろい!
 
 
ただそれだけの理由で、こちらから出す条件にクリアできたら彼を受け入れることにしました。条件はそんなに難しいものではなく、Codecademyの指定した言語を4日間で全部100%にしてくること
 
 
もう後がないことを悟ったのか高速でその条件をクリアしてきたのです。

ちょっと感心。晴れてインターンに。
 
 
うちの会社ではインターン生に向けたプログラマー養成講座というものがあります。

その育成コンテンツは、過去エンジニアとしての僕の経験の中で当時頭打ちになった課題を体系的実践的に構成したものです。

今日はその課題の内容が本題ではないので詳細には書きませんが、簡単に言うとサーバーサイド言語・SQL・コマンド・サーバーなどを必要なタイミングで学びながら、DB連携のシステムを実務に耐えうるレベルで作るというものです。

やってることはシンプルですが、経験0の人にとってはいくらプログラミングがやりたかったとはいえ、毎日が知らないこととの戦いで地獄と思える課題ではないでしょうか

長期的にはポジティブだけど短期的にネガティブになるという、擬似起業体験のような超優良課題。
 
 
それがわかってて課題作ってます!
 
 
今までもたくさんのインターン生が挑戦してきましたが、これまでにクリアできたのはほんの数人。その理由は僕は基本的には答えを教えないので自己解決するしかないからです。そこに耐えられない学生はみんな挫折します。
 
 
今回入ってきたインターン生も試行錯誤しながら何度も詰まって、僕に聞こうとチラチラこっちに視線を送って構ってくれオーラを出してきました。

しかし、鬼の形相の僕には声を掛けられなかったみたいで、結果自分との戦いに打ち勝った末、見事先週末に4日間でクリアしました
 
 
体系的に学べるCodecademyをクリアしていてもこれだけ時間がかかる理由は、知識として得たものを自分の経験に落とし込めていないからです。

Codecademyでも課題にぶつかるように設定されていますが、実務をする中でぶち当たる課題とはちょっとズレてるんですよね。
 
 
だからあくまで体系的に学べる本やコーディングサービスでは、型を学ぶことに徹するのがベターですね。イメージは、ささっとソーメンだけ食べてすぐに仕事に行く感じ。
 
 
んで、彼はチェックポイントに差し掛かった時にだけ僕に声を掛けてきます。そこで僕がチェックをして出来ていない部分のキーワードを伝える。あとはまた自己解決。そして最後にコードを講評してあげる。
 
 
放任のようですが、これが最もチカラがつくと思うんですよ。
 
 
本当に力をつけたい子を見極めるための「踏み絵」にもなるし、変な癖がつく前に手取り足取り教える方がいいとか議論は尽きませんが、プログラマーになる根本目的を考えるとそれではちょっと過保護すぎるんじゃないかと思うのでそうはしない。
 
 
だから彼は本当によく頑張ったと思う。
 
 
ただ、褒めてたら調子に乗って「Google先生」とか気取って言い出したので、
 
 
だまれっ!!!
 
 
と諌めて、落ち着きを取り戻させました
 
 

イメージが湧くのは人間だけという事実を知る

ここから本題に戻りますが、プログラミングの本質は自己との対話。解決できない時にいかに次のキーワードを発想し、そしてもがきながら前に進めるか。

一度極端な自己解決経験をしてしまえば、あとはどんなものでも作れるイメージが湧くもんです。
 
 
要はプログラミングって、このイメージが湧くようになるまでが辛いんですよ。
 
 
どのような手順を踏めばそのイメージが湧いてくるかなんてことは、現代の脳科学をもってしても具体的に定義はできません。

それを具体的に解説できるよって人がいたら、古代インドの哲人「ヤージュニャヴァルキヤ」さえ超えることができますよ。

 

古代インドの哲人ヤージュニャヴァルキヤ

彼の哲学の中心はアートマン(真我)論である。彼によれば、この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。しかし一方では、アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であることを示し、アートマンは「~ではない、~ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないことを説いた。

 

彼が言いたいことは、人間を人間たらしめているのは認識ということ。ただ認識するものは自分を認識できない、つまり自分って結局何なんだかわかんないから厄介だと言っています。
 
 
プログラムで考えると、どうすれば作ることができるのかその機械的な理解はできる

しかし、今まで作ったことがないものや、この世にまだ存在していないものさえも作れる気になるのは、自分の中で機械的理解以上の「イメージ」ができるから。
 
 
そのイメージこそが人間の本質であり、さらにそれをイメージしている認識が何者かを認識できれば良いのですが、それ自体は認識できないものでもある。
 
 
ちょっと難しくなってきましたが、今回のこの新インターン生もこの課題を終えた時に、「何でも作れる気になってきた!」と調子に乗って語っていました。
 
 
だまれっ!!!
 
 
とまた諌めて、落ち着きを取り戻させました。

しかし、彼には機械的理解を超えたイメージが出てきたのは事実。知識としての理解を超えて体験として認識できた状態です。
 
 
釈迦的に言うと「悟った」状態ですね。
 
 
ヤージュニャヴァルキヤから始まったムーヴメントに乗っかって、釈迦はヤージュニャヴァルキヤの説く、自分を認識できないということを様々な方法で試していきます。つまり体験として理解することに務めたのです。

そうしてようやく行き着いた無我の境地。悟ったんですよ。

その状態を弟子たちが経典にまとめることで宗教はできあがりました。この視点から考えるとすれば、宗教とは個の哲学であり自己探求の境地ですね。

あえてなぜ東洋哲学を例に出したのか?

東洋哲学と西洋哲学の違いは色々ありますが、今回東洋哲学を例に出したのは「関心のベクトルの方向」が東洋哲学の方が今日の話にマッチするからです。

東洋哲学と西洋哲学の違いの1つに、思考を行う関心のベクトルが「」か「」かという違いがあります。東洋哲学ではとにかく自分とは何なのかを「内」に考え抜くんですよ。

西洋哲学はいかに「外」をコントロールするための本質を考え抜くかなので、真逆ですね。
 
 
自己成長には東洋哲学を突き詰める方が向いています。
 
 
成長できない人間は得てして他責思考です。他責であっても西洋の哲学者のように本質が掴めればいいのですが、上澄みだけを掬った議論しかでてこないのでそういう人らは到底前には進めません。単なる下流のテクニック論に終始するだけだから。
 
 
未来電子のプログラマー養成講座の「裏テーマ」は、
 
 
弱い自己をいかに見つめ直すか。
 
 
もっと言えば、自分なんて認識できないものだから、事実と解釈を切り分けて問題だけをしっかり捉え直して、感情に流されず一歩ずつどうやったら前に進めるかを鍛え直す訓練なのです。
 
 
わからへん・・・
 
 
これで投げ出してしまう人間は所詮そこまでの力量。何時間何十時間でも考え抜ける思考体力を身につけるべきで、いまのゆとり世代には圧倒的にそれが足りていない。

だからこの課題をクリアした学生はみんな「自分リミッター」が外れてるから、いろんなことにチャレンジしてたくさん失敗して結果も出しているし、めちゃくちゃ男前になっていきますね
 
 
プログラミングと成長と東洋哲学と宗教
 
 
すべて本質的には同じもの。過去の偉人たちはテレビもパソコンもない時代からこんな思考の境地に辿り着いてたって考えると鳥肌がたちますよね。
 
 
いや、何もなかったからこそ行き着いたのか。
 
 
そう考えると今を生きている僕たちは「無用の用」を理解しさえすれば、まだ答えが出ていない境地にもたどり着ける可能性は存分にある。

真横で意欲のある学生を見ていて自分自身の新しい着眼点が広がっていることを考えると、学生を受け入れている理由はもしかすると僕自身認識できていないだけで実は愉快犯ではないのかもしれませんね。

考えていても埒が明かないのでここらでやめて、仕事に戻ります。

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この記事を書いた人
福本 真士
福本 真士

代表取締役社長/CEO

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